介護するからだ(細馬宏通,医学書院,2016)は,若い編集者に勧められた本です.私の仕事仲間の間でも話題になっていました.
「家らしさ」
散らかせること,部屋がどういう目的にあるのかだけではなく,実際にどう使われ,どう認識されているかで「らしさ」が変わる.認知症の人が入居しているグループホームのリビングは,「リビング」だけれども,自分の家のリビングとは異なるのはどう使われ,どう認識されるか.
ふむふむ,シェアハウスのリビングも「はれ」の場になりそうだな.自室は「け」として使われるかな.シェアハウスのリビングを日常の自分のリビングにするには,散らかせることって大切だな.さらに,自分の物がどうあるかによって変わるのかもしれないな.持ち込み椅子,持ち込みクッション,持ち込み絵なんてあったらいいのかな.
↑ 自分の本,持ち込み椅子,持ち込みクッション,持ち込み絵...
↑ きれいなリビング.でも,自宅らしさは「散らかせること」と納得できる.
「立ち上がれなくなった認知症の方を立ちあがらせられる職員」
行為のずれにに着目.ずれが起きたらそれを見逃さず,再度行為を強化する声掛けや誘導がある.ずれは一瞬で,再度のアプローチも一瞬の判断で行われる.介護される人と介護されるひとは体を調整しあっている.一方的なものではない.
そうそう,作業療法では行為ができなくなる症状はよくあるころ.認知症や高次脳機能障害で起こります.私はそのようなこまった状況を乗り越える方法を,相手の方と一緒に見つけていると考えています.私だけが乗り越えるきっかけを見つけているのです.相手の方も乗り越えたいのです.一緒に解決している気がします.相手の体にそのヒントがあることが多いです.それを細馬さんはよく分析しておられ,感動です.
あと,乗り越えるには,私の「ぜったい乗り越える」という気持ちも大切と思う.私の責任感というか,乗り越える方法を見つけますよ!という決意が必要なのです.安直にやってみてもうまくいかない.なんだろう,この本気.きっと育児もこの本気,責任感,決意って必要なんじゃないかな.どうだろうか??